アニメについて、思った事を書く 140130

折角アニメ見てるんで、思った事を書いてみる。

冴えない現実の育て方

人間程度の認識力では、他人を正確に理解するのは不可能、それでも分かり合おうと努力する。

主人公倫也(ともや)は、ギャルゲーという”過度に”女(男)を規定するゲームのファン。勢い余って、倫也はギャルゲーの自主制作に着手。そのヒロインに”普通の女の子”恵(めぐみ)を起用する事によって生じる齟齬や変化が極めて現実的な結論を導き出す。オタクの”癖に”無駄に許容量のデカイ主人公が少しの希望。

新房っぽいなーと思ったら、一緒に仕事した事がある監督らしい。新房と比べて、作画削減のハッタリにケレン味を多様せず、フェチズムに転化するなどの工夫をしているので自然に見れる。それでも、というかだからこそ「変な色での人物アップ」みたいなカットは中途半端で感情移入を阻害している様に思えた。あと、変な形の生垣は・・・面倒くさかったのだろう。

ギャルゲーの制作というテーマをハーレムアニメでやるという、メタ的な入れ子構造。

一部のギャルゲやアニメは人物の内面を単純化し規定する事によってキャラクターが作られている。適度な刺激でオタクの純情を弄ぶ事はあっても想定内を超える事はないし、寧ろ超えれば猛烈なバッシングを受ける事さえある。そして外見面も、単純化、記号化、デフォルメによって一定の型へと押し込まれた絵で表現される。(これがアニメの格好良い部分でもあるのだが)

倫也は現実の女の子に、まさにこれを求める。ギャルゲーのヒロインとして、このアニメのヒロインとして、現実世界のヒロインとして。最初は反発していただが、倫也の人柄の良さと、自己肯定感の低さから、その要求に少しづつ歩み寄り、この作品はハーレムアニメとして完成する。これって男女関係に関わらず現実世界で見る光景とそう変わらない。人は分かり合えないが、互いに歩み寄る努力をしなければ絶望。倫也に歩み寄る日は来るのであろうか、他の女友達に対する彼の態度を見れば、少しは希望を持てるのかもしれない。しかし、彼女達は既に、ギャルゲのキャラクターを、地で 行く 存在だと い う 事を 除けば だが・・。

 

ハーレムものは、いかにずらして外してリアルっぽく見せつつ、男の規定する”女”を描けるかに懸かっている。この作品は僕の規定する”女”にはokです。